老衰についての記事を読んで、新しい見解を得つつも、目指すライフスタイルはそんなには変わらないという結論に

老衰についての記事を読んで、新しい見解を得つつも、目指すライフスタイルはそんなには変わらないという結論に

老衰という亡くなり方、ガンでの亡くなり方

こんにちは、本ブログ記載主のトーターです。

私はこのブログでも何度か、100歳まで長生きすることを目指すという話や、健脚になるために気を付けているという話をしていまして、まあこの先の生き方みたいなものを少しは考えているアラフィフなのです。

それで、生き方とはまたちょっと違う「死ぬ時のこと」についてはあまり考えていなかった(まだ早い)のですが、ちょっと考えてしまうような記事を見つけました。

以下の記事です。

 外部記事:じつは「老衰死」は悲惨…医師たちが「死ぬなら、がん」と口を揃えて言う「意外なワケ」

老衰よりもガンで亡くなる方がよいという主張でした。

私のこれまでのイメージですと、
  老衰 ⇒ 安らかに死ぬ
  ガン ⇒ 苦しんで死ぬ
というふうになっていましたので、どちらかと言えば老衰を選びたかったのですが。

納得とその先の思考

先述の記事に何が書いてあるかですが、簡単に要約しますと以下のような感じになります。

・老衰は、全身が衰えて不自由になった末の死であり、寝たきりのようなかなり惨めな状態に長い間耐えなければならない
・ガンは、ある程度の死期がわかるので心の準備や社会生活の中での身辺整理がしやすく、不自由さがあまりない

なるほど、確かにこれらの内容には納得できるところがありますね。

老衰で亡くなるまで、短くない期間を「やりたいことが何もできず身体も動かないままただぼんやりと生きる」という状態で過ごすことを考えますと、元気なうちにガンで亡くなる方に軍配を上げる人が多くなりそうな気がします。

ただ、それを踏まえて思いますのは。

「寝たきりでぼんやり生きてから老衰」を避け、「死ぬ前日まで歩いたり動き回れるほど元気な状態から老衰」になれば良いのではないか、と。

いわゆる、ピンピンコロリというやつです。

やはり健脚が良い

ピンピンコロリの老衰なら、それがどの程度の確度で実現できるのかは置いておきまして、ガンで亡くなるよりも望ましい亡くなり方であろうと思います。

ガンも多分すごく痛いでしょうしね。
痛いの嫌ですしね。

さて、そうなってきますと、やはり寝たきり状態などを避けるために健脚になる必要があります。

結局のところ、私の生き方は今のままで問題ないということですね。
ガンガン歩いて足を鍛えて長生きする!ということです。

それはそれとしまして、ガンで亡くなることにも一定のメリットがあることを理解できたのは良かったです。

何事もその人の考えようである、という主張についての良い実例になりそうですね。

それではまた。